HIDEKI AOKI with fetisistic heros
中野で、OLYMPUS PEN-EEというカメラを買った。多分、30年以上前のカメラだろう。ハーフ判といって、フィルムの半分を1枚の写真を写し込むため、24枚撮りで48枚、36枚撮りで実に72枚も撮れ、現像焼き付け代の高かった当時は、庶民派カメラとして大売れした、そうである。
一眼レフが故障して大阪で阪神百貨店に預けていた僕は、中野の古びたカメラ屋で、このPENを見つけ、買い取った。PENにもいろいろな種類があるのだけど、一番ポピュラーで安価なヤツ、だと思う。詳しくは知らない。正直カメラを持っていないと手持ち無沙汰だった東京公演の間、こいつでしっかりとクロムを写し撮って来たので、少しずつ紹介したい。
青木さんはよく特撮ヒーローが着ている全身スーツをフェティシズムだと言うのだけれど、剣道の防具もそうなんだって。この写真は、そんな青木さんを端的に表すことのできた奇跡の1枚。終演後、青木さんに誘われ渋谷の本屋を目指したものの雨に降られ、計画中止。宿泊先の最寄り駅まで来たものの、そこからも雨に阻まれ、雨宿りをしている時に撮った。
宴の中休み
東京公演もあっという間に終わってしまった。
「ボチラが出来るまで」は第3回まであるんだけど、なんか友達が「なんでインタビュー形式やねん」とかいろいろぐだぐだ突っ込んできたので、終わります。機嫌損ねました。まあ、第3回の内容が気になる人は是非大阪公演観に来て、直接僕に聞いてください。
さて。
東京公演中、宿泊先で青木さんが「次どうする」とかもういきなり次回公演のフライヤーの相談をはじめだして戸惑う。
ありがたいことに、会う人遭う人に「フライヤーいいね」「ポスターいいね」と褒められまくるのだけど、基本的に褒められて育ったことのない(とりわけ、クリエイションに関してはそう)僕は「けなされて伸びる子」なので、具体的に「どこそこをもっとこうしたほうがいいんじゃないの」的なコメントをもらえると、次回作はきっともっと良くなる(はず)。実際のところ、クロム初作品にして最高傑作を作ってしまった気がしていて、次以降は下降線をたどる気満々。世の中には「褒められて伸びる子」もいるそうですが、明らかに僕はそうではないタイプ。褒められたら「素直に受け取ればいいんだよ」とこれはすずちゃんの意見だけども、それをすると僕は「天狗」になるのです。
どうかみなさん、ボーグのフライヤー、そしてポスターをもっと批評してみてください。
【第2回】ロケハンと撮影
- M彦
- 表の、面をつけた男と女の子の写真が話題を呼んでいるようですが。
- シカタ
- ありがたいことです。
- M彦
- あの写真はどういった経緯で撮影されたのですか?
- シカタ
- まず写真全体のイメージから入ったのですが、最近のクロムはポップ色が強くなってきているということで、写真でポップというと蜷川実花*1だろう、というイメージが第一にありました。まあ、本当のことを言えば蜷川実花さんに撮ってもらえればそれが一番なんですが、もちろんそういうわけにはいかないので、作風を真似るというか、まんま真似するのではなく、色合いの方向性を意識しました。
- M彦
- たしかに蜷川さんの写真は毒々しいまでの色彩ですが、これはそれほどでもありませんね。
- シカタ
- そう、「ああ、言われてみれば、、、」程度でいいんですよ。パクりがしたいわけではありません。
- M彦
- 私はそれほど写真に詳しくはないのですが、蜷川さんはデジタル処理をするわけではなく、あのような色彩を出されるそうですね。その辺りも真似ていますか?
- シカタ
- それは手間なので、こっちはデジタル処理しています。最終的なイメージに最短距離で近づくためには、デジタルだのアナログだのと言ってられません。その時々に適した手段を選びます。彼女は作品づくりでそうしているのでしょうが、我々はまず納期を見据えての製作ですから、悠長なことはやってられません。
- M彦
- では、撮影の時に気をつけられたこととかはありますか?
- シカタ
- いくらデジタルで処理するといっても、基の写真の質が良いことが前提です。色褪せた画像では、処理の限界があります。パソコンでレタッチすることが当たり前になってからは、手を抜いて撮影する人も多いみたいですが、それは間違いです。
- M彦
- デジタルカメラでの撮影ですか?
- シカタ
- いえ、フィルムでの撮影ですね。色鮮やかさ、解像力を考えると、その時の選択肢の中ではフィルムに軍配があがりました。ネガフィルムとポジフィルム両方で撮影しています。ネガはAGFAのULTRAという、ネガの中では最高の色彩を誇るフィルムです。ポジはフジのベルビアです。これも色鮮やかなことで有名なフィルムですね。結局でAGFA ULTRAで撮ったテイクが採用になりました。
- M彦
- なるほど、フィルムにも相当のこだわりがあるんですね。カメラにはどんなこだわりがあるんでしょうか?
- シカタ
- カメラはPENTAXのKXというものを使いました。これは私物の機材で、いつも公私ともに使っているものです。30年前のカメラで、すべてマニュアル制御ですが、マニュアル故の使いやすい道具ですね。手になじみます。別に懐古趣味で使っているわけではありませんが、古いものには古いものの良さがあり、絞り環とシャッタースピードダイヤルで直感的に操作できるのが強みです。フィルムには思い描いているイメージにあったものを選ぶ必要がありますが、カメラは自分が使いやすいものと、画質に折り合いのつくものを選べばいいんじゃないでしょうか。
- M彦
- 面をつけた男と少女が印象的ですが、被写体についてのこだわりはありますか?
- シカタ
- こだわりは青木さんの意向ですね。防具の面を一種のフェティズムとして捉えているつもりです。青木さんからもらった資料の一つに、1934年の映画「フランケンシュタイン」のひとコマがありました。
- シカタ
- きっと異形の男を女の子が理解するような感動的シーンなんでしょうが、白黒でわかりずらいでしょうけど、きっと背景の湖やお花畑がとても風光明媚で綺麗な景色なんでしょうね。少女の内面を映してるといってもいいんじゃないでしょうか。その色鮮やかさが、蜷川実花風の発色に結びつきました。
- M彦
- 「フランケンシュタイン」とは違い、キスをしていますが?
- シカタ
- もちろん「フランケンシュタイン」のようなシーンも撮りましたが、それも含め、いろいろなポーズで撮影しました。結果、キスシーンが採用されただけです。再現に固執するよりは、防具の面を生かしたおもしろい絵作りをしようと思ったからです。この他にも、面男にチュッパチャプップスをなめさせてあげようとするけど、面が邪魔で入らない、みたいなカットもありました。だいたい200カットぐらいは撮っていると思います。
- M彦
- それはすごいですね。
- シカタ
- 朝早く10時頃からロケ地入りしましたが、終わったのは昼の2時ぐらい。途中20分ほど昼食の時間があっただけで、撮影はぶっ通しでした。
- M彦
- ロケ地はどこですか?
- シカタ
- 万博公園です。撮影日は4月の後半だったかな。3月に花畑を求めて青木さんとロケハンをしたんです。鶴見緑地と万博公園を下見しました。鶴見緑地は全体的にダメな印象で、万博公園も、その頃はまだ花畑がなかったので、いまひとつイメージを掴みかねているところに、落ちていたビラを拾ってみてみたら、4月にポピーという花が満開になる、という情報が書いてあったので、コレだ! と確信してロケ地と撮影日を決定しました。
- M彦
- 写真の内容に戻りますが、空が完全なる青じゃなくて、すこし緑に近いような微妙な色をしていますね。これもこだわりのひとつですか?
- シカタ
- そうです。実は現像と同時プリントをした時、お店の機械が故障し、ネガに問題はありませんでしたが、プリントが黄ばんで出て来たんです。ちょうど色褪せたような感じで。その色みがノスタルジックでいいなあ、と思ったんで、すこし黄色みを持たせた発色にしています。やりすぎると狙いがバレバレなので、御指摘のとおり、空の色ぐらいでしかその差を見いだすことはできないようにしています。
- M彦
- しかし、200カット撮ったり、色へのこだわりであったり、並々ならぬ努力ですね。
- シカタ
- 最初にカヴァーを写真で、と提案したのは僕なので、その時の自分に出来る最大限に良いモノを作ろうとした努力の結果ではあると思うし、それが責任だと思いました。色合いに関しては、蜷川実花風から少し色褪せた感じも含めて、クロムモリブデンというカラーとして狙い通りに出せたと思うし、200カット撮るのは、プロからしたら普通だと思いますよ。写真をやる人たちの間ではよく言われることなのですが、写真は引き算なんです。たくさん撮って、消去法で選んで行く。今回いい写真がとれたのは、10の準備をして、10をすべてぬかりなくこなせたからだと思っています。手間や努力をすればするだけ、クオリティの高いものが得られるということですね。
(第3回に続きます)
【第1回】ボ!チラのアートディレクション
indigoworks
主にWEBデザインを得意とするデザイン集団。1998年から1999年にかけて活動。Javascriptや、当時としてはまだ珍しかったCSSを駆使した実験的サイトデザインで、ごく一部で話題を呼ぶ。しかし、1999年以後は、メンバーのシカタコウキがindigoworksの名をサイト名として引継ぐも、その実験的なサイトデザインは見られなくなる。シカタコウキとクロムモリブデン
- M彦
- 私は未だクロムモリブデンという劇団は観たことがないのですが、仕事柄いろいろなところでよくこの名前を耳にします。シカタさんはこの劇団との出会いはいつですか?
- シカタ
- 一番初めは、2003年の夏ですか。クロムモリブデンの番外公演「ソドムの中」*2を伊丹のAI・HALLで観ました。
- M彦
- どういう形で関ったんですか?
- シカタ
- いや、その時は純粋に観客としてです。恥ずかしい話ですが、小劇場演劇、いや、演劇というものを劇場で観たのはその時が多分最初じゃないでしょうか。学校で芝居見せられたりとか、衛星放送で宝塚歌劇を見た、とかいうのはありますけどね。御招待をもらったんですが、正直演劇というものに対して先入観があって、いわゆる食わず嫌いだったんですね。まあでもその頃はライブや美術館など積極的に観に行くことが多くて、演劇もその一環で、何事も勉強と思い、観に行くことにしたんです。
- M彦
- おもしろかったですか?
- シカタ
- 美術や照明、音楽には非常に興味を持ちました。でも話の内容とか演技の内容であるとかはあまり記憶にないんですよね。すいません
- M彦
- あまりおもしろくなかったと?(笑)
- シカタ
- まあ、そういうことですかね(笑)おもしろかったら、絶対覚えてますもんね。
- M彦
- 今年は2005年ですから、2年ものブランクが空いて、いきなりフライヤーを手がけることになったというのは、これはまたどういう経緯で?
- シカタ
- いや、それからのクロムも継続的に観ているんですよ。その次の「なかよしshow」*3を東京池袋の国立藝術劇場で観たんですが、これがどっかんどっかん笑わされて、これはすごいおもしろいモノを見つけたぞ! ということで、さらにその次の「ユカイ号」、青木秀樹外部演出のユニット東京「ドレスを着た家畜が」を続けて観に行きました。その頃には既に発表されていたのですが、「ボウリング犬エクレアアイスコーヒー」というのが、年末年始東京だけでやる*4というので、これは遠征してでも観に行きたいな、と思っていたんです。2004年の11月頃に、そろそろ東京行きの交通手配もしなきゃなあ、と思っていたところに、クロムモリブデンの制作を手伝わないか、という話がやってきまして、二つ返事で受けました。クロムモリブデンの公演を4作観てきたところで、その中身を垣間見たいという欲があったんですね。
- M彦
- 先ほど「ボウリング犬エクレアアイスコーヒー」のフライヤーも見せていただきましたが、これはシカタさんの作品ではないんですよね?
- シカタ
- そうです。僕が参加した時点でもう完成していたので。僕がボ犬で関ったのは主に制作として公演受付、そして大阪公演の舞台撮影のみです。
- M彦
- では「ボウリング犬〜」が終わってからが、今回のフライヤーの本格的な参加?
- シカタ
- はい。「ボ犬」の東京公演がちょうど年末年始というスケジュールだったのですが、えーと、1月の4日だったかな? その時にクロムモリブデンのメンバーとして、正式に加入しました。
- M彦
- 宣伝美術担当で加入ですか?
- シカタ
- まだそこまで煮詰めて入団したわけではないのですが、とにかくその当時はWEBサイトをしっかり作れる人材がいない、ということで僕に手がけてほしい、という話にはなりました。
- M彦
- indigoworksのシカタさんですから、それはベストな人選ですね。
- シカタ
- まあ、劇団のサイトを手がけるというのは初めてのことでしたから、いろいろ試行錯誤でしたが。
- M彦
- それでいよいよ、今回のフライヤーの話になるんですね?
- シカタ
- そうですね。「ユカイ号」「ボ犬」のフライヤーは、スチル撮影やカバーイラストはともかく、エディトリアルが酷く、せっかくの写真やイラストを殺すデザインのものでした。これには劇団員全員が頭を悩めていたことだそうで、人材を見つけられず、結局当時の制作さんが見様見真似の知識でデザインされてた、ということでした。
- M彦
- シカタさんはDTPのお仕事もされていた経験があると聞いていますが、それもまたベストな人選ですね。
- シカタ
- これもWEBと一緒で、劇団のフライヤーを手がけるのは初めてのことで、勝手のわからない不安というものはありましたね。でもそれを払拭するために、ミーティングはしっかりきっちり、深いところまで詰めていこう、ということを心がけました。
主宰とのアートディレクション
- M彦
- 実際のフライヤー製作開始はいつだったんですか?
- シカタ
- アートディレクションを始めたのは、1月の末だったと思います。
- M彦
- それはまた早いですね。「ボウリング犬〜」が終わってすぐですが。
- シカタ
- 「ユカイ号」「ボ犬」のフライヤーは、製作期間が短かったのもクオリティの高いものが作れなかった一因だったと聞きました。*5その反省を踏まえて、少しでもフライヤー製作にかける時間をかけていこう、という方針になりました。
- M彦
- アートディレクションとはどういうことを行ったのですか?
- シカタ
- まず主宰の青木さんと「チラシ会議」という名のもと、主に2人で徹底ミーティングを重ねました。クロム新参者なので、これまで長いクロムの歴史*6の変遷、どういうテイストでやってきたのか、青木さんの美術的嗜好などを教えてもらいました。とりあえず、青木さんの好きなデビット・リンチの「マルホランド・ドライブ」と「ロスト・ハイウェイ」を観ました。もちろん、歴代のクロムのフライヤーもこの時点で確認しています。
- M彦
- 今回のフライヤーの具体的なイメージなどはいつ頃出来上がったのですか?
- シカタ
- それもちょうどこの頃ですね。ただ、この頃はまだ芝居の内容そのものはほとんど固まってはいないので、あまり具体的な内容を決定できない、というジレンマもありました。そういう事情もあって、アートディレクションそのものは1月末から3月末ぐらいにかけて徐々に行っていました。
- M彦
- 具体的なことが決まりつつある流れ、みたいなのはありましたか?
- シカタ
- まず最初に「ボーグ〜」フライヤーはカヴァーをイラストにするのか、写真にするのか、イラストならば誰に頼むのか、写真ならどういった被写体であるとか、そういうおおまかなところから入りました。まずイラストか写真か、という点を決めましたね。僕自身写真を撮るから、というのもあるんですが、フライヤーとしてのインパクトとしては、写真のほうがいいのではないか、という話をしたんです。ちょうどその頃に「ボ犬」にも出ていただいた役者・奥田ワレタさんの2人芝居があって、それのフライヤーがA4全面写真で、僕も青木さんも非常に気に入っていました。「ユカイ号」で女優のちょっとエッチなテイストの写真が使われていましたが、フライヤー全面を写真で、というのは実に「去勢クラブ」以来のことで、久しぶりだしいいんじゃないの、という青木さんのゴーサインで、フライヤー表面は全面写真にすることが決まりました。